去る4月30日(火)、【オルかな】代表の三橋淳子がMCを務める
みつはしサードオピニオン会in二俣川の第1回が開催されました。
【開催の経緯】
サードオピニオン会は月1回日曜日開催で、MCは全国オルタナティブ協議会代表の中川聡です。現在も継続しています。
これまで三橋もこの会に参加してきましたが、三橋の仕事や活動の多様化・多忙により、日曜日の会に参加が難しいことが増えて来ました。また、薬のことだけでなく、具体的な福祉制度や今後について、ソーシャルワーカーとしての三橋見解を聞きたいというお問合せもいただくようになりました。
そこで、新たに三橋がMCとなり、少人数で行う会を、今年はやってみることにしました。日曜日だと来れない方、三橋に直接しっかりご相談されたい方は、月1回、平日開催の「みつはしサード」にご参加ください。
※この会には中川聡は参加していません。中川にご相談されたい方は日曜日の会にいらしてください。
※参加者が少ない場合は時間より早めに終了します。
それでは、当日の会の様子を報告します。
会場での発言から(大意):
・2017年にNZ出身のサベジさんが身体拘束が原因で死亡退院したY病院は、
現在も何事もなかったかのように営業中。
・相模原、八王子のように都市部からすこし外れた地域の精神医療があやうい。
・旭区は横浜市内ではもっとも精神科の病床数が多い。
・泉区は横浜市内で唯一、精神科病院がない。
・教誨師をしている。僧侶として死刑に立ち会うなどする仕事です。
・少年時代に施設で向精神薬を服用させられていた。
・社会運動には戦略が必要―仲間を集め、権威に協力してもらい、政治を動かす。
・子ども時代、母親から「死ね」と言われ続けた。
・今でもスーパーで母親が子どもを怒っているところを見かけるとパニックになる。
・うつ病の薬は飲みたくなかったが、傷病手当のために通院はしていた。
・A病院の副院長だった精神科医が准強制わいせつで捕まって裁判中。
・精神科病院ではホテル経営と同じで病床の稼働率が重視されている。
・精神科病院の職員は患者を相次いで退院させていると、
退院ばかりではなく入院も決めなさいと言われる。
・愚痴を言える場所を確保しておくことの大切さ。
・入院中は服薬に関して拒否権がない。
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イタリア生まれの日本文化史研究家(?)パオロ・マッツアリーノ氏の
手になるHP『スタンダード 反社会学講座』。
上記HPから、一部を引用します。
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(社会学者は)
日常生活の中や、新聞・雑誌・テレビの報道などから、気にくわない人間、こてんぱんにやっつけてやりたい憎たらしい相手を見つけ出します。これは、個人的な感情に基づいたものでかまいません。
(例・最近の若い奴らは講義の間、やたら私語が多い。私の素晴らしい講義を真面目に聞かないなんて、けしからん)
その批判対象となる人たちが、なぜ気にくわないのか。落ち着いた雰囲気の喫茶店で(ドトールや、とりわけスタバは、アホ女子大生の巣窟なので適しません)コーヒーでも飲みながら、結論を出します。これももちろん、個人的な感情論で結構です。理系の学問ではこの段階の意見を仮説と呼びますが、社会学にかぎっては、仮説と結論は同義です。
(例・あいつらは親のスネばかりかじって、自立していない。だから自分勝手だし、私の講義の素晴らしさにも気づかないのだ)」
・・・(中略)・・・
このような適当極まりない研究がまかり通る原因の根は、社会学という学問がカバーする領域がめちゃくちゃ広いことにあります。政治、経済、家族、労働、教育、統計、余暇、健康、なんでもアリ、なのです。毎年、新たな専攻分野が登場し、百花繚乱の趣です。「教育経済社会学」とか「テレビゲーム社会学」とか。自分で名乗りをあげれば、またたく間にその分野で第一人者になれるのが、なによりの魅力です。
・・・(中略)・・・
社会学は非科学的な学問なのです。学者個人の倫理道徳による偏見が、あまりにも強く研究結果を左右しているという事実は、かなり危険な段階まできています。彼らの個人的感情を、いかにもの一般論にでっち上げるやり方は、犯罪とさえいえます。
・・・(中略)・・・
社会に問題がないと、社会学は存在価値を失います。ですから社会学者は自分で問題を捏造し、それを分析、処方箋まで書いてしまいます。古株の新聞記者ならこれを、マッチポンプと呼ぶでしょう。自らマッチで火をつけて、自らポンプで水をかけて消すことをいいます。
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さてここで、上の文章の中の「社会学」を「精神医学」に、
「社会学者」を「精神科医」に置き換えて読み直してみて下さい。
(例)
「社会に問題がないと、社会学は存在価値を失います。ですから社会学者は自分で問題を捏造し、それを分析、処方箋まで書いてしまいます。」
↓
「精神疾患がないと、精神医学は存在価値を失います。ですから精神科医は自分で疾患を捏造し、それを分析、処方箋まで書いてしまいます。」
いかがでしょうか。
精神医療の世界で起きている問題との類似性に気づく方は多いのではないでしょうか。
「社会」というものも、「精神」と同様にとらえどころのない概念です。
日常的によく使われる言葉ではありますが、厳密な定義があるわけではありません。
社会の問題についても精神疾患と同様、その判断(何を問題とするのか、
それが問題であるとして対象になっている現象や人物がそれに相当するのか否か)には、
厳密な意味で客観的であると言える基準は存在しません。
(擬似的・近似的な「基準らしきもの」が利用されることはありますが・・・)
社会の問題について論じる「社会学」があたかも物理学や化学と同次元の「科学」
として認証されて、権威を与えられたらどういうことになるか。
精神医療の世界で起きていることと同様に、問題のすり替えや差別の正当化に
利用され、社会の混乱を招くことになるでしょう。
『スタンダード 反社会学講座』は実際のところメディアリテラシーの優れた教科書だと
思います。マッツアリーノ氏の正体は日本の社会学の重鎮なのかもしれません。
精神医療がもたらしている害悪に悩む人々にとっても学べることが多いのではないでしょうか。
【書籍もあります】
『反社会学講座』
(オルかな事務局 黒柳)
